旅人の靴

 たったひとつこの世に魔法があるとしたら、彼の靴こそがそうだ。世界の果てと果てを何往復したって、ちっとも擦り減りはしないし、まして穴なんて絶対にできないだろう。
 彼は、旅人なんだ。
 砂漠の真ん中にぽつんとあるその建物に、彼は興味を惹かれて近づいていった。旅人なんて、好奇心が強い人がなるものなのだ。その大きな灰色の建物は、大きさの分だけ旅人の好奇心を刺激したのだ。ううん、まあ、確かに大きいのは大きいんだけど、あんまり砂漠が広すぎて、すごく唐突な感じがするな、なんて旅人は思ったのにちがいないのだ。
 これはまあ、詳しく説明なんてしなくていいと思うけど、建物には入り口があるに決まってる。旅人は注意深く建物を観察していたから、もちろんそれを見つけるわけだ。そうすると、旅人はなんだかわくわくしてきて、入りたいなって思う。思って入り口に近づく。想像してみてほしいんだけど、守衛がいるんだね、その扉には。いかめしい格好で立ってるわけさ。
 ちゃんと想像した?
 旅人は帽子をかぶってたほうがいいな。かぶってたんだ、うん。それでさ、守衛にこれこれこういうわけだから、中を見学させてくれって言うんだ。旅人なんだから、こういう交渉は手慣れたものさ。守衛は上の者に聞いてみないととかなんとか言う。それで扉のところにある電話で中のえらい人と連絡をとるのさ。チンッて受話器の音がする。旅人はわくわくして、どきどきしてる。旅人は中に入れるかな? 入れないとまあ、話が終わっちゃうから、入れるわけだ。そうだね、署長なんかが迎えに来るといい。
ようこそ。砂漠の刑場へ。
いや、大丈夫、このお話は怖くないよ。ただ舞台が刑場ってだけさ。旅人はやさしい良い人だし、署長はおっちょこちょいだけど、怖いことなんてちっともおこらないよ。
 ここが刑場だってことに旅人はちょっとびっくりした。でも、まあちょっとだけ。旅人ともなると、そんなに大げさに驚かなくなるものなんだ。建物はロの字型だった。四角い中庭があるんだ、でも外からはちっとも見えなかった。建物はひっそり静かで、薄暗いんだ。
「ここは国王陛下のおつくりになった施設のなかで、最も技術のすすんだ場所なんです」
 署長は興奮して言うのさ。旅人はきょろきょろしていろんなものを見るんだけど、署長は一番見てほしいものの話をするんだ。
「特にこの刑場にしかない、万能刑機の性能はすばらしいものですよ!」
 でもまあ、旅人はふうんって思ってる。ふうん…それより、罪人はどこにいるのかな。罪人に故郷はあるのかな。そこへも行ってみたいなって。
 署長は興奮しすぎて、旅人の腕をつかむと中庭の真ん中まで引っ張っていく。旅人はちょっと、そうさちょっとだけね、びっくりする。中庭の白い固い砂がズリズリ言う。
「これです!」
 署長が自信満々に紹介した機械は、すっごく大きくて、それで、すごく複雑なんだ、すごくね。木と金属でできてる。複雑すぎて蜘蛛みたいなんだ。見ただけじゃ、どうやって使うのかさっぱりわからないのさ。旅人は大きな機械を見上げるものだから、太陽が白く輝いているのも見えたんだ。
「この万能刑機は死刑も確実にやってくれますが、鞭打ちもやりますし……」
署長は腰にぶら下げていた水筒から水を飲みながら言うんだ。誇らしげに。
「すりの腕も折りますし、鼻をもぐのも、焼き印もこいつでやれるんです」
 へえ、気持ち悪い機械だなって旅人は思ったんだ。署長はつばを飛ばしながら勝手に続ける。
「一番自慢の機能は、罪人の血の処理までやるところでしてね。歯車の細かいところまで自動で掃除しますから、絶対に壊れないんです」
 へえ、そりゃすごい。旅人は、しみじみと思った。ズリズリという音がした。罪人がつれてこられたんだ。
「ああ、ちょうど良い」
署長はゲラゲラ笑って旅人の肩を馴れ馴れしく抱くんだ。罪人はしょんぼりつれてこられる。手も足も鎖でつながれて、ボロをきている。ひげづらの若いやつさ。
 監視員から書状を渡された署長は、苦い顔をした。ちょっとした盗みで、腕を折るだけの刑だった。これじゃ血がでないな。掃除が見せられないぞ。署長はううん、と考えた。
「そいつは何をやったのです」
 旅人が書状を覗きこもうとしてしてくるのを、署長は不自然に体を捻って逃げるわけだ。もうわかるだろ? ぬすっとなんだ、折ったって切ったって一緒さ。署長はいかめしい顔をしておほん、と咳払いする。
「盗みですな。腕を切断します」
「切断ですか!」
 旅人は、この国の法律は厳しいなってびっくりする。罪人が聞こえないところにいる、ね。
署長は監視員に合図する。監視員は罪人を、あの蜘蛛みたいな機械に押し込む。署長がさりげなく、ふらっと機械のそばに歩いていって、まあなんとかうまい感じにパチンとスイッチみたいなのを切り替える。
 大丈夫、こわくないってば。怖い話なんかじゃないんだ。まあちょっと、血は出た。ああうん、腕を切り落としたんだからきっといっぱい出た。機械から噴き出して、赤黒い血が白い土の上にぼたぼたと落ちた。署長がしまったって顔をする。大丈夫、血の話はすぐ終わる。罪人が叫ぶ。ふざけるな、なにするんだ、痛い、あと助けてとか、意味もない叫びを。旅人は、往生際の悪い奴ですななんて呑気に言ってる。慌てた監視員が機械を無理に開こうとする。署長が何か叫ぶ。ちらり、と銀色の光が機械の中で煌くのが見える。監視員の右耳から左胸がぱっくりと割れる。怖くないよ、血がまた出たけど、機械が止まってないのに手を出した監視員が悪いのさ。旅人がびっくりして首をかしげる。なんだかおかしいぞ。署長はやったら咳払いをする。金きり音のような、叫び声のような異音の後、あたりがしんとする。
 旅人は、ぽかんと蜘蛛をみつめていた。土に染み出した血だまりも、機械から流れる血もそのままだ。機械は罪人を飲みこんで閉じたままだし、監視員もぴくりともせず地面に崩れている。
「どうしたんです」
 旅人はまばたきもせずに言った。ううん、旅人はちょっとしか驚いていないよ。
「死にましたな」
 中庭はそれきりしんとなったんだ。

 本当のことを言うよ。たったひとつこの世に魔法があるとしたら、それはぼくたちの想像力だ。このお話にでてきた旅人は何色の服を着ていた? 署長は煙草臭かったかい?  あの蜘蛛はぼくたちさ、ほんのつまらない罪を犯した男と、まじめな監視員の血を想像したろ? じゃあ、殺したのはぼくたちさ、ううん、正確にはぼくじゃない。ぼくなんていない。
 ぼくを想像したかい?