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エイトレス王妃

<1>
 国王、エイトレスは三時間前には妻帯者となっているはずであった。
既に広間には大勢の貴族達で溢れ、神父は祭壇の前で朝から聖書を五度も読みきっていた。三時間、この部屋で喋る者は誰もいなかった。
 公爵、サラザウダは、自分の背骨が凍り付いているのを感じていた。
百を超える小国を配下に治め、大陸をほぼ統一した前代未聞の鬼王エイトレスに敵はいなかった。各地で頻発する反乱も、全国的な飢餓や貧困も、鬼王から玉座を奪う脅威とはなり得なかった。大陸の全てが、いや、正確にはただひとつ、大陸の北の果てにある、人口三百人にも満たない極小国スミスを除いては、全てが鬼王の手中にあった。
王国の中でただ一人、サラザウダだけはスミスを警戒した。二十歳になろうとするエイトレスに、スミスから王妃を迎えるよう進言した。
鬼王は承諾した。
 しかし、遅刻である。三時間をすぎ、そろそろ四時間を経過しようとしている。
 サラザウダは、貴族達に部屋を移動して先に昼食をとるよう案内すべきか迷っていた。せめて、あとどのくらいで新王妃が到着するのか知りたかった。
「陛下は、貴族達が先に昼食をすませることをお許しにならないだろう」
 広間の入り口に飾られた花を毟りながら、サラザウダは呟いた。
「陛下がお許しにならないなら、貴族達も我慢するだろう。しかし…」
 溶けた背骨が皮膚中の毛穴から滲み出ているのを感じた。もごもごと口を動かしたが、意味のある単語すらもう出てはこなかった。
「申し上げます!」
 唐突に、軽装の兵士が広間に飛び込んできた。跪くというよりも、転ぶようにして玉座の前へ蹲った。
 王は何も言わず、ただゆっくりと視線だけ兵士にくれてやった。
マルガリータ王女を、ローランド付近で確認したという報告が御座いました」
「ほう、ローランド付近」
 玉座のやや左後ろに立っていた男が、唇以外を動かさずに発言した。彼はこの三時間、微動だにしなかった。彼のことを知らない者は、彼を人間によく似せた精巧な置物だとさえ思っていただろう。
「陛下、ローランド付近であれば並足でも三十分あれば城に到着いたします」
 広間の空気が一瞬、緩んだ。しかし、兵士の体だけは硬直した。
「恐れながら、陛下。マルガリータ王女のご到着は、二時間後……いえ、それ以上かかるかと……」
 一瞬、時が止まった。
「ほう」
 語尾を上げることなく、国王は静かに呟いた。
「報告によると、マルガリータ王女は、徒歩に御座います。そのうえ…」
 サラザウダの心臓は今にも凍りつきそうだった。
「従者を背負っておられるとか」
 びくり、と王の眉が動いた。貴族達は石のように固まった……起きなかった笑いに、兵士はむしろ恐怖を感じた。
 数秒の沈黙を、おそらく広間にいた全ての人間が、永遠のように感じていただろう…精巧な置物を除いては。
「では陛下、王女到着の前にご昼食を」
「ならん」
 サラザウダの退路は断たれた。いや
「では」
断たれたのは、退路か進路か、サラザウダ自身にもわからなかった。
「では、私が馬車で王女をお迎えに参りましょう」
 王の背から、親衛隊長はわざとらしく、ゆっくり言葉を区切って提案した。
「サラザウダ殿、マルガリータ王女は徒歩とのこと。わたくしがお迎えすることは、慣例に反しますか」
「ああ、いえ、セクト殿。陛下がただ一言良いと仰れば」
 先王から仕える公爵は、孤児院から成り上がった親衛隊長が垂らした蜘蛛の糸にしがみついたまま動くことができずにいた。
「シルヴァードを使え」
鬼王は、自分の愛馬を指定した。親衛隊長セクトはゆっくりと玉座の裏から王の御前へ移動すると、さらにゆっくりと跪いた。一瞬ののち、扉の閉まる音とともに、親衛隊長は広間から消えた。

 ローランドは草原の町である。見渡す限りの地平線だが、町に住む人間は地下に住居を持つ。毎夜雹が降り、地上の家屋は一夜ともたないためだ。
「おろしてくださいませ、マルガリータさま、ね」
 ゆえに、少女の声は草原のどこまでも響いていた。
「ねえ、マルガリータさま、もう、大丈夫ですから。ね。おろしてくださいませ」
 背負われた少女は、目の前の背中を非力に殴っていた。艶のある金髪は、まるで太陽の光を吸い込んでいるかのようだった。
「もう平気ですよ、ね。歩けますから、ね」
「駄目だ」
 食いしばった歯の間から、荒い息が漏れていた。喉の奥で、従者を背負う王女は命令した。
「ずいぶん酷く腫れておったではないか。城までもう少しだ。手当てをするまで歩くことは許さん」
「もう少しではないです。おろしてくださいませ、ね。マルガリータさま」
 涙声に、もう力は無くなっていた。
 スミス王国唯一の王女マルガリータ父親の跡を継ぎ王座に就くべく育てられてきた。体は小さく華奢で、最近十七になったばかりだが、五歳幼く見られることもしばしばである。
 今、彼女の栗色の髪は汗でべっとりと頬に貼りつき、額は青ざめ、儀式用の白と紫のドレスは泥だらけになっていた。スカートの中で華奢な膝は震え、食いしばった真っ白な歯の間からは筋肉の悲鳴が漏れていた。黒い瞳だけは硝子玉のように輝き、まだ見えぬはずの目的地をしっかり見据えていた。
 草原に吹いた風に、すすり泣きの声と足音がかき消された。世界が、何もかもを隠そうとしているかのような音だった。
 静寂に、威圧的な音が響き渡った。
 マルガリータは足を止め、遠くに小さく見える黒い影に目を凝らした。
「サンドラ」
 マルガリータの呟きは、だんだんと大きくなる足音にかき消された。名を呼ばれた待女は、気づかずにまだ泣いていた。
 もう一度呼ぼうと、待女の主は口を開きかけた。しかし近づいてくるのが馬に乗った兵士だとわかると、注意の全てをそちらに向けた。
「スミス王国第一王女、マルガリータ様」
 顔が見えるほどの位置にくると、兵士は大きな声で王女の名を呼んだ。青毛の馬の上の兵士は、深い青の軍服を身に着けていた。鎧ではなく、兵士の礼装である。肩に、胸に、首に、軍服のあらゆるところにつけられた勲章が、太陽の光を拒絶するかのように鈍く跳ね返していた。黒い髪を短く刈り込んだ彼は、決して美男子ではなかったが、妙な凄みがあった。
「そしてマルガリータ様の第一待女、サンドラ殿」
 羽毛のように馬から舞い降りると、兵士は王女の前に跪いた。
「わたくしはエイトレス国王親衛隊長、セクト・パレイと申します。お二人をお迎えに参りました」
 セクトの身のこなしや言い回しはどこかわざとらしかった。
「馬車がローランドのはずれにおりますので、呼んで参ります。マルガリータ王女、サンドラ殿を如何なさいましたか」
「転んで足を挫いたのだ」
王女は答えた。
「ひどく腫れている。馬車に医者はおるか」
「医者はおりませんが、わたくしに医術の心得が少々御座います、応急手当くらいでしたら」
「応急手当程度、既にしてある」
サンドラが、主の背でようやく泣き止んだ。ただ、消えてしまいたいという自責の念が彼女を震えさせた。
「では急いで馬車を呼んで参りましょう」
セクトが馬に飛び乗り、地平線へと去っていった。

 五時間以上も遅れたとはいえ無事婚礼が終了し、サラザウダは自室で安心のあまり腰を抜かしていた。
 確かに、貴族達はくたくたに疲れきってはいた。しかし王女の到着まで王は待っていたのだ。婚礼の式中にも何も問題は無かった。
(あとは初夜をお迎えになるだけだ)
しかし、その点に関してエイトレス王に問題は無いはずである。サラザウダの膝にまた力がよみがえってきた。
(遅刻など小さなことだ。とにかく、婚礼は無事に済んだのだ)
 老公爵は元気を取り戻すため、新鮮な空気を吸おうと窓に手をかけた。この夜、エイトレス王国は安泰を手に入れたのだ。
 サラザウダを呼ぶ王の咆哮と、けたたましいベルの音が鳴り響いた。

 時は、少しだけ遡る。
 セクトに付き添われた王と、なんとか歩けるようになったサンドラに付き添われた王妃は、夫婦のために新しく用意された寝室へと案内されていた。
 新王妃は既に睡魔に服従しかけていた。歩きながらも、うとうとと首が揺れる。
「ひめさま、ひめさま、ファイトファイト」
静まり返った廊下では思ったより囁き声が響き渡ってしまい、サンドラははっと顔を赤くした。
新王妃の返事はごにょごにょとしか聞こえない。親衛隊長の肩が震える。
「もう少しです、王妃殿下」
 職務に忠実な彼の、慣例に反して無礼とも言える発言に、異国から来たばかりの侍女の胸は優しく締め付けられるようだった。胃とも心臓ともわからないところが、ただ熱くなり震えているのがわかった。自分の吐息が熱くならないよう、サンドラは息を止めた。
「ほら、もう寝室です」
 セクトはまるで子どもをあやすような口調で、寝室の扉を示しながら微笑んだ。彼の微笑みは、いつもすぐに顔から去っていく。
「ひめさま、すぐにお休みくださいね」
 片方の扉を開きながら、サンドラは姫の侍女のままだった。
「今夜は、お部屋にご一緒できないそうですから」
言いかけて、語尾が震えた。
 王が王妃の肩を抱き、セクトの開いた扉の側から部屋に入った。大きく半円を描く新王妃の頭ががくりと揺れ、王の腕とともに部屋の中へと吸い込まれていく。
 片方の扉はなんとももったいぶりながらゆっくりと、片方の扉は震える白い手で閉じられた。

 部屋に入るとすぐに、エイトレスはマルガリータをベッドの縁に座らせた。扉のそばにいったん戻ると、重いマントを脱ぎ
「案内、どうもありがとう」
 妻の言葉に夫は振り向いた。
「もう、自分の部屋に帰っていいぞ」
 マルガリータの舌は呂律が回っていない。
「何を言っている。ここが朕の部屋だ」
 エイトレスはマントをそのまま床に落とすと、妻の前に立った。
「なんだ」
 マルガリータの頭はゆっくりと左右に揺れていたが、本人はそのことに気がついていないようだった。
「ここはオマエの部屋か。つい間違ってしまった」
エイトレスはマルガリータの肩を押しやり、ベッドに横にさせた。妻の口調に少し、苛立ちがあった。
「すまない。私の部屋はどこだ?」
「ここはお前の部屋だ」
「ここはオマエの部屋だろう」
「…二人の部屋だ」
「相部屋か」
ぴくり、と王の動きが止まった。
「この城はスミスの何倍もあるのに。つまり、住んでいる者も多いのだな」
肩を押していた手は、そのまま移動し、ゆっくりとマルガリータの顎を持ち上げた。
「何が言いたい? どうして欲しい?」
苛立ちを感じさせながらも、甘く淫靡な囁きだった。
「今日は長ったらしい儀式で疲れた、明日に備えて眠らねばな」
 マルガリータがため息と一緒に呟いた。焦点の定まっていない瞳は、エイトレスをとらえているのかどうか、わからなかった。
「今夜は初夜だぞ」
エイトレスは、自分の言葉に一瞬ぎくりとしたが、そうとしか言いようがないので訂正せずじっと黙った。
「うむ、初夜だから、サンドラと同じ部屋で眠れないそうだ」
マルガリータの見当違いな言葉に、エイトレスはもう一度ぎくりとした。
「お前」
顎を持ち上げていた手は、さっと引き上げられた。
「お前、今夜お前がどうすべきか、わかっていないのか?」
エイトレスの声に淫靡さは無くなっていた。 マルガリータの眉間に皺が寄った。
「なんだ、まだ何か儀式があるのか?」
マルガリータの呟きは、彼女以外にはむにゃむにゃとしか聞こえなかった。
「お前は何故朕の后となったのか、わからないのか?」
「オマエが父上に私を寄越せと言ったのではないか」
「世継ぎを残すためだ」
「子どもをつくるためだな」
マルガリータの言葉に、エイトレスはほっとした。
「そうだ。お前は今夜は疲れているかもしれないが、今夜は初夜なのだから……」
「良い夫婦になろうではないかエイトレス」
 マルガリータの焦点がエイトレスを捉え、彼女は微笑んだ。
「良い夫婦のもとに、神は子どもを授けてくださるのだぞ」
「どっ……」
 エイトレスは抜けそうな腰を、必死で支えていた。
「ど、どう……どうやって?」
その問いの間抜けさには気づいていた。
「父上は、金色をした鳥が運んでくるのだと言っていたぞ」
 マルガリータの笑顔を見たくなくて、エイトレスは目を閉じ、そして
 サラザウダの名を絶叫した。

「まことに残念ながら、陛下」
 寝室の扉の前で、頭を抱える王に公爵は報告した。
「王妃殿下は、まだ月のものもはじまっていらっしゃらないようで」
「月のものも?」
 両手で頭を抱えたまま、王は公爵を一瞥もせずに聞き返した。
「はい、サンドラ殿の話では……」
「あれはもう十七だぞ」
「陛下、月のものがはじまる歳には個人差が御座います。十七でまだという女子もおらぬわけでは御座いません」
王は応えなかった。
「ですので月のものが始まるまでは、お世継ぎは」
「ああ」
 一瞬、二人の間に思い沈黙が訪れた。
「それよりも……、問題は……、あれは子作りを……」
 その沈黙を、エイトレスがぶつぶつと破った。サラザウダはさっと青ざめたが、もともと青ざめていたために、その顔色はまるで死人のようになった。
「陛下、スミスではそのような教育がなされておらぬようで、サンドラ殿も、その」
重くはない、沈黙が流れた。
ゆっくりと瞬きすると、エイトレスは王としての威厳を取り戻そうとした。
「まあ、良い。どちらにしろ、あれに月のものが始まるまで、世継ぎはつくれぬ」
 王は震えるサラザウダを残して、寝室へと戻っていった。
 サラザウダは、長い廊下でただひとり、王国の安泰だけを願っていた。

 エイトレスが部屋に戻ると、マルガリータはさっきの体勢のまま眠ってしまっていた。
 しばらくじっとマルガリータの寝顔を見ていたが、泥だらけのドレスのままであることに気づくと、彼はほんの少しだけ微笑んだ。
 ドレスを脱がせると、真っ白な下着姿のマルガリータは、翼を忘れた天使のように見えた。
 エイトレスは彼女をさっと抱き上げると、掛けぶとんに押し込んだ。
 ふんわりとした重さに、マルガリータはゆっくりと意識を取り戻した。少しだけ開けた瞳で、エイトレスが自分と同じふとんにもぐりこんでいるのを見つめていた。
「ベッドも共用なのか」
彼女の口調は、お前も苦労しているんだな、と言わんばかりであった。
「そうだな」
 エイトレスの口調はもう、淫靡でもなんでもなかった。
「お前は、まだ子どもだからな」
エイトレスの言葉に、マルガリータは何も言い返さなかった。
「だから一緒に、寝てやるよ」

<2>
 エイトレス城の中庭の花壇は荒れ放題だった。一日に二度、見回りの兵士が交代で水をやる決まりだったが、兵士は美しい花よりも如雨露を持たず身軽に見回りをすることを重要視する者が多かったし、何よりほとんどの兵士が「自分一人くらい水をやらなくても大丈夫さ」とか、「雨だって降るし、花なんて勝手に育つさ」と考えていたためだ。
「確かに、これはいかんな」
は花と緑に囲まれた城で育ったスミス王女が花壇の前で腹を立てていた。
「でしょう、でしょう」
花壇のことを密告した侍女は頷いた。
「ねえひめさま、このお城にはお花を育てる方がいらっしゃらないんだと思います」
自慢気に言うが、主の「そんなの見りゃわかる」という表情にぎくりとしながらサンドラは勇気を持って続けた。
「ちょうどいい大きさだし、花壇はここにしかありませんし、二人でお花を育てましょうよ、ひめさま」
 提案するのは、いつもサンドラだ。
マルガリータはいつだってノーではないが、イエスでも無いというような返事をする。
「ううん、でも城のことだからな、エイトレスに訊いてみんとなあ」
サンドラはいつだってその返事をイエスだと受け取って大喜びする。
「では王さまが許してくださったら、早速取り掛かりましょう!」
そしてその大はしゃぎっぷりに、マルガリータはいつだって付き合ってしまうことになるのだ。
「ああほらえっと、土いじりをする服を用意せんと、なあ」
「作って頂きましょうよ」
サンドラはくるくる踊りだしてさえいた。
「サラザウダさまが、必要なものがあればなんなりと、って仰っていましたもの」
そして突然、マルガリータに抱きついた。
「姫さまも前にお洋服をつくられてから大きくなられましたから、色々と測って頂く良い機会です」
服の中に手を入れ、くすぐってみせる。いつも通りのおふざけに、マルガリータもきゃっきゃと笑う。反撃し、サンドラの服の中に手を入れれば、対戦相手は体全体をくねらせて逃げようとする。右半身を相手に向けまいとすれば左半身をくすぐられ、脇の下から脇腹に狙いを移せばぴょんと跳ねて逃げられる。ひとしきり揉み合い、笑い合ったあと、侍女はくすぐったい余韻を惜しみながら言った。
「そろそろお部屋に戻りましょう」
マルガリータは、もうどこもくすぐったくないのに、まだ笑いながら言った。
「ああ、でもその前にサラザウダの部屋へ行こう」
「そうでしたわ」
侍女は王女の乱れたドレスを直しながら頷いた。襟を引っ張り上げ、リボンを結び直し、レースの土を払い、そしてスカートにある小さなシミに気づいた。

 マルガリータさまが死んでしまう。
 取り乱した侍女に引っ張られ、サラザウダは彼女の主の部屋と急いだ。部屋では怪我人がきょとんとしながらベッドに座っていた。
 侍女が乱発する単語を整理したところ、この怪我人は「ずっと血を流して」おり、「傷口はよくわからず」「どこでケガをしたのかもわからない」が、「姫さまは痛がってはいない」が「とにかく血が止まらない」ということだった。
「サンドラ殿、少し、王妃とふたりきりにして頂けますかな」
 部屋から追い出された侍女は、泣きそうになりながら……正確には、堪えているつもりの涙を廊下にこぼしながら、独断で王を呼びに走った。

 部屋からそろそろと出てきたマルガリータは、泣きながら抱きついてくるサンドラの頭を撫でながら言葉を選んでいた。
マルガリータの後ろからそそくさと出てきたサラザウダは、怪訝な顔をして廊下に立っている王に跪いた。
「陛下、おめでとうございます」
王にはこの一言で充分だった。少しだけ顎を動かして寵臣に答えると、くるりと玉座へと帰っていく。
 わけがわからないのはサンドラだった。瞳に涙を溜めたまま、きょとんとエイトレスの背中を見つめ、サラザウダの横顔を見つめ、そして主の顔を見つめた。
「なんだか私もよくわからないのだがな、サンドラ」
マルガリータは眉間に皺を寄せながら侍女に教えてやった。
「私は大人になったらしい」
「は、はあ」
大人になると股から血が出るのだろか。サンドラは首を傾げたまま沈黙してしまった。
「ああ、ええと、女性は大人になるときにこのような……ですからこれはお怪我ではありませんので、サンドラ殿」
サラザウダが王妃にしたのと同じように、侍女にも優しく説明した。首を傾げたまま、サンドラは王妃と同じことを言った。
「大人になるのって、あっけないものなのですねえ」

 その夜、寝室の扉の前で、エイトレスは些か胸を高鳴らせていた。いや、今夜胸を高鳴らせたところで何もできないのはわかっていたが、それでも胸は高鳴っていた。
ゆっくりと、扉を開けた。
眠っていたのは、大人になったばかりの……少女だった。
「お前は、朕が帰るまで待たぬのか」
小言さえ、熱い吐息に掻き消された。
 布団への侵入者の気配を察知したマルガリータは、瞼に気怠さを貼りつけながらも状況を確認しようとした。
「起こしたか」
夫の言葉に、妻はむくりと起き上がると、しばらくぼんやりした後、
「そうだ、ここはお前の部屋だったな」
とつぶやくと、枕を抱えてベッドから降りてしまった。
夫は驚いて体を起こし、妻が何をするのかじっと見ていたが、どうも彼女が部屋から出ようとしているのだと判明した瞬間、
「どこへ行く」
できるだけ動揺を悟られないよう、低い声で問いただした。
「サンドラの部屋だ」
妻は当然だとでも言いたげに答えると、さっさと扉を開け……ようとするが、寝ぼけているのか、押してみたり引いてみたりともたついている。夫は数秒、妻の返答について考えたが、答えが出そうもないことを悟ると質問の方向を変えてみることにした。
「お前は今日大人になったのだろう?」
しかし、向いてみた方向は自分でもなんだかよくわからなかった。
「ああ」
マルガリータはようやく、この扉は取手をやや引きながら押してみれば良いのだということを発見した。
「私は今日から大人だからな」
彼女はふわりと振り返ると、エイトレスに向かって微笑んでみせた。
「だから、添い寝はもういいぞ」
扉が閉まる音は、なんとも軽快だった。

 

 

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DeepGunzというページで一時期公開頂いていたのですが

そちらの移転に伴い、非公開となったので、こちらで公開しています。